トーマス・モンソン大管長略歴

トーマス・S・モンソンは末日聖徒イエス・キリスト教会(通称モルモン教会)の預言者、第16代大管長です。モンソン大管長はその優れた記憶力と詩を愛することで知られていて、講話の中でしばしば詩を引用しています。またイエス・キリストの福音が自分の人生にどのように助けになているか、またどのように人々を祝福しているかを、自分の経験を交えての話し方は、熟練した語り手として有名です。

トーマス・スペンサー・モンソンは1927年8月21日にソルトレーク市で生まれました。幼い頃から思いやりの心を持つ少年でした。友だちの一人がクリスマスのディナーにシリアルに水をかけて食べることを知ったトーマス少年は、七面鳥ではないけれどクリスマスのディナーにと大事にかわいがっていた2匹のウサギを持って行ってあげました。

第二次世界大戦が終りに近づいた頃、わずか17歳で海軍に入隊しましが、それから数週間後に終戦になりました。その後も現役の任務につき、1年後に帰還しました。

1948年、ユタ大学の経営管理学を優秀な成績で卒業し、同じ年の10月7日にフランシス・ビバリー・ジョンソンとソルトレーク神殿で結婚しました。やがて、男子2人女子1人の3人の子宝に恵まれました。モンソン大管長はユタ大学で教えながら大学院で勉強を続け、後にブリガム・ヤング大学からMBA(経営学修士号)を取得しました。

トーマス・S・モンソンは出版印刷業界で成功を治め、1948年にはデゼレトニューズ社の宣伝部門で働いていましたが、その後デゼレトニューズ出版社の営業部長に、さらには総括部長になりました。1959年から1962まで、モンソン大管長は末日聖徒イエス・キリスト教会のカナダ伝道部会長として奉仕しました。1963年10月4日には十二使徒定員会に召されました。1969年、米国ボーイスカウトの全国執行理事会の責任を受け、さらにはユタ州の大学教育を管理するユタ州大学教育理事会での責任も果たしています。1981年には、民間企業イニシアチブのための大統領直轄タスクフォースで働くよう、当時のロナルド・レーガン大統領から依頼を受け、1982年に全業務が完了するまでその務めを果たしました。

1985年11月10日、モンソン長老はエズラ・タフト・ベンソン大管長の下で大管長会第二顧問として召されました。1994年6月5日にはハワード・ハンター大管長の第二顧問として、1995年3月12日にはゴードン・B・ヒンクレー大管長(2008年1月27日逝去)の第一顧問に召されました。モンソン管長は第一顧問当時、ブリガム・ヤング大学の理事、また教会教育委員会の執務も果たしました。モンソン大長老は、2008年1月27日に死去した第15代大管長ゴードン・B・ヒンクレーの職を継ぎ、2008年2月4日、正式に末日聖徒イエス・キリスト教会の第16代預言者、大管長に指名され、2008年4月5日の教会総大会で支持されました。

尚、新大管長会は、大管長トーマス・S・モンソン、第一顧問ヘンリー・B・アイリング、第二顧問ディーター・F・ウークトドルフです。

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