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	<title>トーマス・モンソン：人物紹介 Archives - トーマス・S・モンソン</title>
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	<link>https://ja.thomasmonson.com/category/トーマス・モンソン：人物紹介</link>
	<description>末日聖徒イエス・キリスト教会の預言者、第16代大管長</description>
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		<title>モンソン大管長の伝記</title>
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		<dc:creator><![CDATA[Ayae]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 09 Dec 2013 14:15:40 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[トーマス・モンソン：人物紹介]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>トーマス・Ｓ・モンソンは、最愛の預言者であり、末日聖徒イエス・キリスト教会（モルモン教会と時に呼ばれてしまう）の大管長です。彼は、（伝記作者ハイディ・スィントンによると彼が「真の評価書」と呼ぶことを好んでいる）経験談と、 [&#8230;]</p>
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]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">トーマス・Ｓ・モンソンは、最愛の預言者であり、末日聖徒イエス・キリスト教会（モルモン教会と時に呼ばれてしまう）の大管長です。彼は、（伝記作者ハイディ・スィントンによると彼が「真の評価書」と呼ぶことを好んでいる）経験談と、親切で思やりのある心と同じく詩に対する愛情で知られています</span><a href="http://today/?"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[1]</span></a><span style="color: #000000;">　最近、モンソン大管長は言いました。</span></span></p>
<p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">・・・私がしてきた数えきれない経験は、必ずしも並外れたものではなかったと（気づきました）。実際、それが消えてなくなった時には、それらは注意を引くほどではなく、普通のことでさえあるようにしばしば感じました。それでも振り返ってみると、それらは人生を豊かにし、祝福しました。その最も小さくない部分が、私自身の人生です。</span><a href="http://blessings/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[2]</span></a></span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">彼のユーモアとこれらの「目立たない」出来事に対する心からの感想を通して、彼の無条件の愛と友情と神への献身を知ることができ、私たちは預言者を慕うようになります。</span></p>
<p><strong><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">義にかなう母親は、思いやりを教える</span></strong></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;"><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;"><a href="http://ja.thomasmonson.com/files/2013/12/nopurpose-ship-home-lf.jpg"><img fetchpriority="high" fetchpriority="high" decoding="async" class="alignleft size-medium wp-image-109" alt="nopurpose-ship-home-lf" src="https://ja.thomasmonson.com/files/2013/12/nopurpose-ship-home-lf-300x300.jpg" width="300" height="300" srcset="https://ja.thomasmonson.com/files/2013/12/nopurpose-ship-home-lf-300x300.jpg 300w, https://ja.thomasmonson.com/files/2013/12/nopurpose-ship-home-lf-150x150.jpg 150w, https://ja.thomasmonson.com/files/2013/12/nopurpose-ship-home-lf.jpg 500w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></a></span></span>モンソン大管長は、１９２７年８月２１に、ユタ州ソルトレークシティにおいて、Ｇ・スペンサー・モンソンとグラディス・コンディ・モンソンの子供として生まれました。モンソン大管長には、母親の懐かしい思い出があります。</span></p>
<p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">私は、母親から多くのレッスンを学びました。私はとても活発な少年だったに違いありません。母はいつも私に「もっとゆっくり、トミー。ゆっくり。聖ブィートダンス（シデナム舞踏病）になる寸前よ。」私が聖ブィートダンスを知らなかったことは、お分かりいただけると思います。私にわかったのは今にもそれになりそうだということだけで、彼女の口ぶりからそれが過激な病気だと想定しました。</span><a href="http://society/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[3]</span></a></span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">スウィントン姉妹は言いました。</span></p>
<p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">彼は、家庭でキリストのように生きることを学びました。そこは、慈愛（キリストの純粋な愛）や思いやり、他の人の人生を高めて祝福したいという望みが道徳的規範の場所であり、両親は彼に聖典を読みはしませんでしたが、聖典に従って生活していた場所です。</span><a href="http://today/?"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[1]</span></a></span></p>
<p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">モンソン大管長は、大恐慌の時代に、ソルトレークシティの西側の「線路の間」で育ち、他人への思いやりの多くを母親から学びました。</span><a href="http://today/?"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[1]</span></a><span style="color: #000000;">彼は言いました。</span></span></p>
<blockquote><p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">私たちは線路から１，２ブロック離れたところに住んでいたので、職も食費もない男たちが、列車を離れ、食べるものを求めて、しばしば我が家に来ました。・・・永久に私の心に刻みこまれているのは、痩せ衰え、お腹を空かした男が勝手口に立っていて、手に帽子を持ち、食べ物を嘆願している様子です。母は、そのような訪問者を歓迎し、手などを洗うために台所の流しへ向かわせ、その間に母は彼のために食べるものを用意しました。彼女は、質も量も惜しむことは決してありませんでした。訪問者は、父が食べたのと全く同じ昼食を食べました。彼が食べ物をがつがつ食べている時、母は、家へ、家族</span><a href="http://mormon.org/values/family"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">family</span></a><span style="color: #000000;">のもとへ帰るよう助言する機会としました。彼が食卓を離れる時、肉体的、霊的に養われていました。これらの男たちは、感謝の言葉を述べることを決して忘れませんでした。目に涙を浮かべ、心にある感謝</span><span style="color: #000000; font-family: Century;"> </span><a href="http://www.lds.org/topics/gratitude?lang=eng"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">gratitude</span></a><span style="color: #000000;">をとても静かに表しました。</span><a href="http://society/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[3]</span></a></span></p></blockquote>
<p><strong><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">キリストに従うというクリスマス・レッスン</span></strong></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">模範を通して思いやりを教えることに加えて、モンソン大管長の母親は、息子が経験を通して学べるようにしました。彼が１０歳の時のクリスマスの日に、そのようなことが起こりました。預言者は、電車がとても欲しかったと思い出します。「手頃な価格の、どこにでもあるようなぜんまい仕掛けのおもちゃの列車ではなく、むしろ電気という奇跡によって動く物でした。」</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">これは大恐慌の時のことですが、彼の両親は、（犠牲を払ったと思われますが、）素晴らしい電車を贈りました。母親は、少し安い電動でない列車も、通り沿いに住む未亡人の息子のために買いました。幼いトミー（そう呼ばれていました）は、自分のセットにはないオイル・タンカー車両を見つけ、それを母親にねだりました。母親は、とうとう降参し、言いました。「もしあなたが、彼以上に必要なら、持って行きなさい。」彼は、オイル・タンカーを自分の物にし、彼らはマーク・ハンセンに贈り物を持って行きました。モンソン大管長はこう締めくくっています。</span></p>
<blockquote><p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">（マークは）そのような贈り物を予想だにできなかったので、言い表せないほど興奮しました。彼は機関車の鍵を回し（私のとは違い電動ではないので）、機関車と２両の車両、それに乗務員車が、線路に沿って進むのを見て大喜びしました。賢明にも母は尋ねました。「マークの列車をどう思う、トミー。」私は強い罪の意識を感じ、利己的であることが十分わかりました。私は母に言いました。「ちょっと待ってて。すぐに戻るから。」</span></p>
<p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">私の足が動く限り速く、私は家に走り、オイル・タンカーと、自分の車両も加えて、通りをハンセン家へと走って戻り、嬉しそうにマークに言いました。「君の列車にセットになっていた２つの車両を持ってくるのを忘れてたよ。」マークは、その２両をセットに連結しました。機関車が線路に沿って重そうに走るのを見て、私は表現が難しく、忘れることのできない最高の喜びを感じました。</span><a href="http://road/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[4]</span></a></span></p></blockquote>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">時に簡潔なレッスンが、最も重大であり、最も忘れられないものです。</span></p>
<p><strong><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">「彼の成功物語のもう半分」</span></strong></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">すべての良い男性の後ろには、もっと良い女性がいるとしばしば言われます。確かに、モンソン大管長の後ろには、彼の傍らに立ち、彼が主に仕えることが出来るよう家庭を世話している義にかなった女性がいます。１２使徒定員会（大管長会と共に、イエス・キリスト教会を管理する）のジェフリー・Ｒ・ホランド長老は、言いました。</span></p>
<blockquote><p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">心と霊の事柄でいっぱいの人生の本で最も甘美な章の一つは、モンソン大管長のフランシス・ジョンソンとのコートシップに始まります。</span><a href="http://faith/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[5]</span></a></span></p></blockquote>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">モンソン大管長は、コートシップの始まりのことを詳しく話しています。</span></p>
<blockquote><p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">私がフランシスを見た最初の日、まさに正しい人を見つけたとわかりました。後に主は私たちを合わせて下さり、私は彼女をデートに誘いました。彼女を訪問するために家へ行きました。彼女が私を紹介すると、父親が言いました。「モンソン・・・、スウェーデンの名前だね。」私は、答えました。「はい。」</span></p>
<p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">彼は他の部屋へ行き、シルク・ハットにモルモン書</span><a href="http://mormon.org/beliefs/book-of-mormon"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">Book of Mormon</span></a><span style="color: #000000;">を持った二人の宣教師の写真を持ってきました。「君は、このモンソンと親戚かね。」彼は言いました。「エライアス・モンソン」</span></span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">私は言いました。「はい、彼は私の祖父の兄弟です。スウェーデンで彼も宣教師でした。」</span></p>
<p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">彼女の父親は涙を流しました。彼は言いました。「彼と同僚は、私の両親と私の兄弟皆と私に福音を教えてくれた宣教師でした。」彼は私の頬にキスをしました。そして彼女の母親は泣いて、もう片方の頬にキスをしました。そして私は、フランシスを見回しました。彼女は言いました。「コートを取って来るわ。」</span><a href="http://blessed/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[6]</span></a></span></p></blockquote>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">彼らの娘、アン・モンソン・ディブは言いました。</span></p>
<blockquote><p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">お母さんは、お父さんの成功物語のもう半分、誰もあまり知らない半分です。父は、とても誠実に仕えて多くを与えながらも、認められることを決して求めない人々について「匿名」という題名で、大会で話をしました。その話は、見事に母に当てはまります。彼女なしには、父は今までしたことを成し遂げられなかったでしょう。</span><a href="http://faith/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[5]</span></a></span></p></blockquote>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">トーマス・Ｓ・モンソンとフランセス・ジョンソンは、１９４８年１０月７日にソルトレーク神殿で結婚しました。３人の子供と８人の孫、８人のひ孫に恵まれました。フランセスは、２０１３年に亡くなり、葬儀の模様は、教会員に放送されました。</span></p>
<p><strong><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">未亡人に対して忠実で献身的な友人</span></strong></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">モンソン大管長は、他人に対する愛でよく知られています。ホランド長老は言いました。</span></p>
<blockquote><p><span style="color: #000000;"><span style="font-size: 10pt;"><i>忠実さ</i>は、トム（または、若いときは「トミー」）モンソンを最もよく知る人たちが口にする言葉です。彼の忠実さは、長年に渡る友人たち、今のとても忙しい生活の中では覚えていることを期待されていないかもしれない友人たちを覚えている、深く根差した、不滅の忠実さです。</span></span></p>
<p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">彼の生涯に渡る友人、ジョン・バートは言います。「トムのワードに住んでいた未亡人（８７人）に対するトムの世話は、人々に対する彼の忠実さと献身の実例です。私たち他の者はビショップの召しから解任されると、次の仕事になんとなく移り、次の人に未亡人たちを託します。しかしトムはそうではありません。彼は何とかして彼らを訪問し続ける時間を見つけます。彼は私が知る最も忠実な男です。彼は決して、彼がどこから来たか忘れず、彼が『大物』になる前に知っていた人々を決して忘れません。」</span><a href="http://faith/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[5]</span></a></span></p></blockquote>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">ビショップとは、ワード、地区の会衆の神権指導者です。神権とは、神の子供たちの救いのためのすべての事柄を行うために、神がふさわしい男性に与えられる権能です。モンソン大管長がビショップの時には１０００人以上がワードにいましたし、ビショップは一人一人を管理する神権指導者です。どのような場合でも聖霊のささやきに耳を傾けるように、彼に教えた一つの経験があります。２３歳で、彼はワードのビショップになりました。彼がステーク（ワードを集めたもの）神権指導者会に出席していた時に、病院へ行くようにという促しを受けました。彼はワードのお年寄りから祝福を頼まれていて、その集会後に行く予定でした。その集会中促しはとても強かったのですが、そこにいる人々の妨げになりたくありませんでした。最後の話者の後、閉会の祈りも待たずに彼は急ぎました。ホランド長老は言いました。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">病院の４階の廊下を端から端まで走り、若いビショップは指示された部屋の外で何か特別なことが行われているのを見ました。看護師が彼を呼び止めて言いました。「あなたがモンソン・ビショップ？」「はい」、と不安げに答えました。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">「残念です。」彼女は言いました。「患者さんは、亡くなる寸前まであなたの名前を呼んでいました。」</span></p>
<p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">涙をこらえて、トーマス・Ｓ・モンソンは向きを変え、闇夜に戻って行きました。彼はその時そこで、主からの促しに従って行動することを二度とし損なわないと誓いました。彼は、御霊のからの印象が来た時に認識し、すべての「主の用向きのため」に、導かれるところはどこへでも行くでしょう。</span><a href="http://errand/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[8</span></a><a href="http://errand/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">]</span></a></span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">モンソン大管長は、その経験を決して忘れたことはありません。ビショップとして、また他の召しで奉仕していた時、モンソン大管長は８７人の未亡人を彼女たちが亡くなるまで忠実に訪問しました。ホランド長老は言いました。</span></p>
<blockquote><p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">８７人の未亡人はほとんど皆、今はもう亡くなっていますが、彼女たちの「ビショップ」は、終わりまで訪問し続けました。数年前のクリスマスの季節のある夜、モンソン大管長は、「彼の」未亡人たちへの通例の巡回をし、（初期の頃は彼の鶏小屋で育てた）丸々とした下ごしらえ済みのチキンを含む自費で購入したプレゼントを渡しました。ソルトレークシティの多くの介護施設の一つで、彼は心底理解するようになりました。彼はワード会員の一人が、暗い部屋で、失明によりなお一層暗く、一人で静かに座っているのを見つけました。モンソン大管長がこのかわいらしい姉妹のそばへ行くと、彼女はぎこちなく手を伸ばし、クリスマス・シーズンを通して唯一の訪問者の手を手探りしました。「ビショップ、あなたですか？」彼女は尋ねました。「ええ、大好きなハッティ、わたしですよ。」「ああ、ビショップ。」彼女は見えない目から涙を流しました。「<i>あなたは</i>来てくれるとわかっていましたよ。」彼らは皆彼が来ると知っていましたし、彼はいつも来ました。</span><a href="http://faith/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[5]</span></a></span></p></blockquote>
<p><strong><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">救い主の愛への窓</span></strong></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">モンソン大管長の人々への愛は、救い主イエス・キリストへの真の献身と愛を示しています。ホランド長老により話された経験は、モンソン大管長の人々への優しさを表しています。</span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">かつてある人がモンソン大管長に善意で、これらのお年寄りを訪問し、ほぼ一言も返さないのに長時間話すのは意味がないと言いました。「時間を無題使いせずに一息ついたらどうですか。モンソン長老。彼らは、あなたが誰かわかりませんよ。」</span></p>
<blockquote><p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">「彼らが私を知っているかどうかは、問題ではありません。」トーマス・モンソンは断固として答えました。「彼らが私を知っているから話すのではありません。私が彼らを知っているから話すのです。」</span><a href="http://errand/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[8</span></a><a href="http://errand/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">]</span></a></span></p></blockquote>
<p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">ビショップとして働いた後、モンソン大管長は、ステーク会長会として、そして伝道部会長として働きました。彼はイエス・キリストの使徒として、１９６３年に３６歳で聖任されました。彼は、１９８５年からイエス・キリスト教会の大管長会の顧問として働きました。モンソン大管長は、出版、印刷の分野で著名な経歴を持っています。</span><a href="http://monson/"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">[7]</span></a><span style="color: #000000;">モンソン大管長は手にした成功にかかわらず、それまでに出会って人を決して忘れません。故ジョセフ・Ｂ・ワースリン長老、当時イエス・キリストの使徒は、言いました。</span></span></p>
<blockquote><p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">私はモンソン大管長を長年に渡り知っています。彼は、この教会を統括するよう予任されたイスラエルの偉大な者です。彼は、人の心を捕らえる話やたとえ話でよく知られていますが、彼を最もよく知っている私たちは、彼の人生はそれらの話を適用した実践的で模範的な例であるとわかっています。この世で偉大で力ある者の多くが彼を知り、尊敬しているということは彼にとって光栄なことではありますが、地位の低い多くの人が彼を友と呼ぶことは、たぶんさらに大きな賛辞です。モンソン大管長は芯から、優しくて思いやりがあります。彼の言葉と行いは、その人に対する関心を体現しています。</span></p></blockquote>
<p><iframe src="//www.youtube.com/embed/th6OrORV8os?feature=player_embedded" height="360" width="640" allowfullscreen="" frameborder="0"></iframe></p>
<p><span style="font-size: 10pt;"><span style="color: #000000;">この記事は、イモンタギュー</span><span style="text-decoration: underline;"><span style="color: #0000ff; font-family: Century;">lmontague</span></span><span style="color: #000000;">により書かれた。</span></span></p>
<p><span style="color: #000000; font-size: 10pt;">私は、妻であり４人の素晴らしい子供たちの母親で、山に囲まれたアイダホの小さな町に住んでいます。私たちは冬にはスキーをし、夏にはキャンプや釣りをし、ビーチに行きます。私は、生涯に渡り末日聖徒イエス・キリスト教会の会員で、救い主と人生における福音の祝福に感謝しています。</span></p>
<p>The post <a href="https://ja.thomasmonson.com/105/%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%bd%e3%83%b3%e5%a4%a7%e7%ae%a1%e9%95%b7%e3%81%ae%e4%bc%9d%e8%a8%98">モンソン大管長の伝記</a> appeared first on <a href="https://ja.thomasmonson.com">トーマス・S・モンソン</a>.</p>
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		<title>トーマス・S・モンソン</title>
		<link>https://ja.thomasmonson.com/29/%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%bbs%e3%83%bb%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%bd%e3%83%b3</link>
					<comments>https://ja.thomasmonson.com/29/%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%bbs%e3%83%bb%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%bd%e3%83%b3#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[Ayae]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 09 Feb 2008 19:03:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[トーマス・モンソン：人物紹介]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>トーマス・S・モンソン 出典: MormonWiki トーマス・S・モンソン は2008年2月3日、ゴードン・B・ヒンクレー大管長の逝去にともない、末日聖徒イエス・キリスト教会の預言者、聖見者、啓示者（大管長）として召し [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://ja.thomasmonson.com/29/%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%bbs%e3%83%bb%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%bd%e3%83%b3">トーマス・S・モンソン</a> appeared first on <a href="https://ja.thomasmonson.com">トーマス・S・モンソン</a>.</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>トーマス・S・モンソン<br />
出典: MormonWiki<br />
トーマス・S・モンソン は2008年2月3日、ゴードン・B・ヒンクレー大管長の逝去にともない、末日聖徒イエス・キリスト教会の預言者、聖見者、啓示者（大管長）として召しを受けました。モンソン大管長は教会の第16代目の大管長で十二使徒定員会の先任会員で、現在の使徒の中では最も長くその任に就いています。これまでヒンクレー大管長の下で大管長会の 第一顧問を務めていました。</p>
<p><strong>幼いときから思いやりの深い人</strong><br />
トーマス・スペンサー・モンソンは1927年8月21日米国ユタ州ソルトレークシティで、G・スペンサー・とグラディス・コンディ・モンソンの6人の子供の第２子として生まれました。頑強な北ヨーロッパ系の先祖をもつ両親は、勤勉で謙遜、愛の深い人たちでした。家族はつつましい生活をしていましたが、特に大恐慌の間はそうでした。それでもトーマス・モンソンは心のやさしい子で、自分より恵まれないまわりの人々に対しては思いやりを示しました。あるクリスマス、友だちの家族がクリスマスのディナーにシリアルと水しか食べられないことを知って、涙をこらえながらも大事に飼っていた二匹のうさぎを差し出して、「七面鳥ではないけれど、りっぱなクリスマスディナーになるよ」と言ったそうです。1</p>
<p>モンソンはそれ以来ずっと、その思いやりと聖霊の促しに応えることで、貧しい人の窮状に心をくだいてきました。自分が育ったワードのビショップになったとき、そのワードは1,060人の会員のうち85人が未亡人で、「州内で福祉 負担が一番高 いワードでした。2 モンソン大管長は何年にもわたってこれらの未亡人一人一人の生活に個人的な関心をもち、ビショップの職から解任された後も、当時の未亡人すべてが亡くなってしまうまで関与していました。</p>
<p>ある人がモンソン大管長に、長い間話をしても反応が返ってくることはめったにないから、そのような老人を訪問しても無駄だと忠告したことがありました。「時間の無駄だと思いますよ、モンソン長老。あなたが誰だかわからないのですから。」<br />
モンソン長老は断固として答えました。「わたしを知っているかどうかは問題外です。あの人たちが私を知っているから話をするのではなくて、私があの人たちを知っているから話すのです。」3</p>
<p>トーマス・モンソンが16歳のときに受けた祝福師 の祝福は、彼が将来する奉仕について、次のように予告しています：</p>
<p>「あなたに霊感と導きとなり、仕事をする上で導きを与え、過去のことを思い出し、将来起こることを示すために聖霊が授けられました。…<br />
「人々の中で真の指導者となるでしょう。… あなたは各地に赴き、福音のメッセージを宣べ伝える特権を得るでしょう。… また識別の霊を受けるでしょう。<br />
「あなたが将来受ける高く聖なる召しにおいて、…進むべき正しい道を知るための導きと指示を受けられるように、へりくだって主を求めてください。4 <span id="more-29"></span></p>
<p><strong>兵役、教育、職歴</strong>モンソン大管長は17歳のときに米国海軍に入隊しました。同時に入隊した他の41人の新兵は4年間正規海軍兵として兵務につきました。しかしトーマスは熱心に祈った結果、戦争期間とその後6ヶ月を務める海軍予備兵となることを選びました。「入隊してから数週間でヨーロッパの停戦が成立し、その後数ヵ月後に太平洋地域に平和が戻りました。こうして海軍の現役勤務が始ってから1年も経たないうちに、トーマス・S・モンソンは復員しました。」5 帰還後彼はユタ大学に入学し、軍隊に入隊しなかった学友よりわずか1学期遅れただけで、1948年に優秀な成績で経営学の学位を取得しました。</p>
<p>1948年10月7日、トーマスはフランシス・ビバリー・ジョンソンとソルトレーク神殿で結婚しました。やがて二男一女の3人の子供が生まれました。(現在8人の孫と4人のひ孫がいます。)モンソン長老はユタ大学で教鞭を執るかたわら、大学院で勉強を続け、その後ブリガム・ヤング大学でMBA（経営管理学修士号）を取得しました。またユタ大学から優秀同窓生賞を、ブリガム・ヤング大学からは名誉法学博士号を受けています。さらに1996年6月にはソルトレーク・コミュニティカレッジからも名誉学位を受けています。また経営学友愛会名誉会員でもあります。1948年からはデゼレトニューズの広告課を皮切りに、デゼレトニューズ出版の販売マネージャーに就任、さらにはジェネラルマネージャー（総取締役）を務めました。ユタ印刷業会の元会長、さらには全米印刷業会の元メンバーでもあり、その商才と優れた記憶力で知られています。デゼレトニューズ紙の元編集長ビル・スマート氏はモンソン大管長について、次のように述べています。「モンソン氏は常に用意周到で、几帳面、組織力が高い人でした。ものすごく記憶力の良い人で、それがとても彼の役に立っていました。時として記憶が良過ぎることもあって、いつも正しいことを言わないと、後で後悔するようなことになるんですよ。」[1]</p>
<p><strong>教会と社会奉仕</strong><br />
モンソン大管長は若くして教会の業に召されました。若干22歳でビショップに、27歳でステーク会長会に、31歳で伝道部長 (1959年から1962年まで伝道本部がカナダ、オンタリオ郡トロント市にあるカナダ伝道部)に、36歳で使徒 (53年間で最年少)に、そして58歳で大管長会の顧問（今世紀では最年少）に召されたのです。 6 1969年には、全米ボーイスカウト連盟の全国理事会（その功によりスカウトの名誉賞シルバー・バッファロー賞を受けた）での任務を開始する一方、さらにはユタ州の大学教育機関を運営するユタ州大学評議会でも奉仕しました。1981年、大統領の民間セクター・タスクフォースの異宗教間委員会で奉仕するようにロナルド・レーガン大統領から依頼を受け、1982年にこの任務を終えるまで務めました。 トーマス・モンソンはKSL（テレビ/ラジオ）、ボンネビル・インターナショナル社（メディア）、マウンテン・ベル（電話/通信）、コマーシャル・セキュリティ銀行、ベネフィシャル保険会社などの取締役会で、職業人としてまた市民としての義務を果たしてきました。</p>
<p>ボイド・K・パッカー長老はこのように語っています。「モンソン長老は組織する才能に長けています。もし重要なことに関してすべての必要な経路をたどり、必要な検問を通過するための舵取りがうまくできる人を求めているならば、わたしはトム・モンソンを選びます。」7</p>
<p>1985年11月10日、モンソン長老はエズラ・タフト・ベンソン大管長の下で、大管長会の第二顧問に、1994年6月5日にはハワード・W・ハンター大管長の第二顧問に召されています。そして、1995年3月12日、ゴードン・B・ヒンクレー大管長の第一顧問となりました。2007年2月4日、ヒンクレー大管長の死去に続いて、教会の大管長に就任しました。</p>
<p><strong>御霊によって生き、奉仕する</strong><br />
次の記事によってトーマス・モンソンが慣習からではなく、御霊の促しによって主に仕えることを望んでいるのがわります。<br />
テンプルビュー・ステーク、第6-第7ワードの比較的新しいビショップだった23歳のトム・モンソンは、ステークの神権指導者会が進行するにつれて、いつになく落ち着きがありませんでした。この集会を出て、すぐにソルトレークシティの東部高台にある退役軍人病院へ行くようにという思いを感じていたのです。その夜家を出る前に、ワードの高齢の会員が入院したという電話を受けていました。電話の主は、今夜病院へ行ってこの会員を祝福する時間が取れるかと言うのでした。多忙なこの若いビショップは、今ステークの神権指導者会へ行くところだが、集会が終わった後にできるだけ早く病院へ行くようにするからと説明しました。</p>
<p>「すぐに集会を出て、病院へ行くように」という促しは強くなる一方でした。しかしその時、ステーク会長自らが壇上で話をしていたのです。管理役員が話している最中に席を立って、壇上に座っている兄弟たちの前を横切り、そのまま建物を出るなどということはこの上なく失礼なことでした。彼はつらい思いでステーク会長の話が終わるのを待って、それから閉会の祈りを待たずに出口へ向かって飛び出しました。<br />
「若いビショップは病院に着くと、4階の廊下を走り抜けて教えられた病室に向かいました。その病室の外にはあわただしい動きが見られました。看護婦が彼を止めて尋ねました。「モンソン ビショップですか。」<br />
「はい」と、不安げに答えました。<br />
看護婦は言いました。「残念ですが、患者さんは息を引きとるまえに、しきりにあなたの名前を呼んでいました。」<br />
トーマス・モンソンは涙をこらえながら、きびすを返して夜の闇の中へと消えて行きました。彼はそのとき、その場で、主からの促しには直ちに行動すことを、心に誓ったのです。御霊から印象を受けたときには、直ちにどこにでも行き、常に「主の用向き」を行おうと。</p>
<p><strong>他の宗教を信じる友へ差し伸べる手</strong><br />
モンソン大管長は他の宗教を信じる人々に対して手を差し伸べることで知られています。ジョン・ハンツマン・シニア（ビジネスマン/慈善家）は次のように述べています。「モンソン長老はマデリーン大聖堂（カトリックの聖堂）の中でも（末日聖徒）の神殿と同じように心地よく過ごされます。あらゆる宗教に安らぎを感じて、すべての宗教の指導者たちを励まし、霊感を与えておられます。モンソン大管長が在職中には、世界中の他の宗派との盛んな交流が行われることでしょう。」<br />
ニール・A・マックスウエル長老は次のように言いました。「トムは会員にも会員でない人々の中にも、同様の能力と気軽さで入っていくことができます。彼の管理手腕と経営の才は、もちろん優秀であることに間違いありませんが、そのすべてが学校教育や仕事から得た機会によるものではありません。彼が先天的に持っているとか天から授かったもののような、もっと基本的なものです。彼がその重要性を把握し、それが何を意味するかを理解するのには、20年もかからないでしょう。他の人がまだ包装紙をはがそうとしている間に、彼はすでに殆どのものの中身をむさぼり食っているのです。」9</p>
<p>モンソン大管長は20年間にわたって、東ヨーロッパで教会員ではない人々の中で仕事をしてきました。その努力によって、1982年8月に、最初のステークが組織されました。また1985年6月29日、ドイツ民主共和国（東ドイツ）のフライベルクに神殿が奉献されたことで、モンソン大管長の夢がかなったのです。.<br />
「モンソン兄弟の努力がなかったら、ヨーロッパのこの地域には何もなかったでしょう。」親しい友人でヨーロッパ地域会長のジョセフ・B・ワースリン長老は言います。「しかし、今はステークやワード、そして教会堂もあります。それに奇跡中の奇跡である神殿さえあるのです。トムはこの人たちにすべてを与えました。自分の着ていたシャツでさえも。本当です。背広やシャツ、靴までも配っているのを見たことがあります。貧困のどん底にあった東ヨーロッパの聖徒たちに自分の背広を20着ほど配ったでしょう。あれは古着だし、どうせ捨てるのだからと言っていましたが、私には真新しく見えました。」10</p>
<p><strong>著書</strong><br />
「Be Your Best Self」(1979年9月) (ISBN 978-0877477877)<br />
「Inspiring Experiences That Build Faith: From the Life and Ministry of Thomas S. Monson」(ISBN 978-0-87579-901-8)<br />
「Favorite Quotations from the Collection of Thomas S. Monson」(ISBN 978-0-87747-749-5), collection of his favorite poems and quotes.<br />
「Live the Good Life」(ISBN 978-0-87579-192-0)<br />
「Faith Rewarded: A Personal Account of Prophetic Promises to the East German Saints」(ISBN 978-1-57345-186-4)<br />
「Christmas Gifts, Christmas Blessings」(ISBN 978-0-87747-976-5)<br />
「The Search for Jesus」(ISBN 978-0-87579-669-7)<br />
「Meeting your Goliath」(ISBN 978-1-57345-357-8)<br />
「A Christmas Dress for Ellen」(ISBN 978-1-59038-386-5)<br />
「Invitation to Exaltation」(ISBN 978-1-57345-358-5)<br />
「Pathways to Perfection」(ISBN 978-0-87747-511-8)</p>
<p><strong>トーマス・S・モンソン大管長の言葉</strong></p>
<blockquote><p>「時々、落胆がわたしたちの道を暗くし、挫折感がいつも付きまとうかもしれません。「一人で世の中は救えない。おまえの小さな働きなど無意味だ。人のことを構っている時間などないんだ。」 主を信頼し、そのような偽りに耳を貸さず、奉仕の道をしっかりと歩み、すべてをささげて主の模範に従いましょう。決意の光が鈍るときや、心が弱くなるときは、主の次の約束から慰めが得られるでしょう。「善を行うことに疲れ果ててはならない。…小さなことから大きなことが生じるのである。見よ、主は心と進んで行う精神とを求める。」（「平和を見出す」『リアホナ』2004年3月号、5） </p></blockquote>
<blockquote><p>「『歴史の扉を開くのは小さなちょうつがいである』という言葉は、わたしたちの人生にも当てはまります。自分の選択が自分の行く末を決定するのです。」（「きょう、選びなさい」『リアホナ』2004年11月号、67）</p></blockquote>
<blockquote><p>「わたしは特別な証人として、心を込め、熱い思いを尽くして、神が生きておられることを高らかに証し、宣言します。イエスは神の御子、肉における御父の独り子 です。わたしたちの贖い主であり、御父と人との間の仲保者です。わたしたちの罪を贖うために、十字架上で亡くなり、復活の初穂となられました。主が命を捨てられたので、すべての人は再び生きることができます。『主は生けりと知る』と言う歌詞の何と麗しいことでしょう。世のすべての人がこのことを知り、その知識に従って生きることができますように…。」（「主は生けりと知る」『リアホナ』2007年5月号、25）</p></blockquote>
<blockquote><p>「もちろん、恐れを感じ、あざけられ、妨害に逢うこともあるでしょう。多数意見に挑む勇気、原則を守る勇気を持ちましょう。妥協しない勇気が、神が承認された恵みをもたらすのです。勇気は、死を恐れない勇敢な態度としてだけでなく、ふさわしく生きる決意として理解するとき、いきいきとした魅力ある徳になります。道徳的な意味での臆病者とは、人から反対されたり笑われたりするのを恐れて、自分が正しいと思うことを実行しない人のことです。恐れは誰にでもあることを忘れないでください。しかし、その恐れに毅然として立ち向かう人には勇気もあります。（「勇気が求められる」『リアホナ』2004年5月、55）</p></blockquote>
<p><strong>参考 </strong><br />
ThomasMonson.com<br />
トーマス・S・モンソンの人物紹介 LightPlanet.com<br />
ソルトレーク・トリビューン紙「トーマス・モンソンに関する記事<br />
LDS Newsroom biography<br />
&#8220;http://ja.mormonwiki.com/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3&#8221; より作成<br />
カテゴリ: 大管長 | 教会指導者: 現在</p>
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