絶対に!末日聖徒イエス・キリスト教会(しばしば、はからずも「モルモン教会」と呼ばれる)の会員として、私たちはイエス・キリストの再降臨を積極的に待ち望み、備えています。ラッセル・M・ネルソン長老は十二使徒でイエス・キリスト教会の指導者ですが、救い主の福千年におけるメシヤの役割はまだ起こっていずに、それはとても大切な役割であると述べています。[1]末日聖徒は旧約と新約の預言者がすべてイエスの再降臨について示唆していると信じています。

ダリン・H・オークス長老はイエス・キリスト教会の十二使徒で指導者ですが、キリストの再降臨について次のように語っています。

末日聖徒にとって4つの事柄が議論の余地がないほど明瞭です。(1)救い主は力と偉大な栄光を伴って地上に戻って来られ、正義と平安の福千年に自ら地上を統治なさいます。(2)主の再降臨に際して、悪人は滅亡し、義人たちの復活が起こります。(3)だれも主の再降臨がいつになるのか知りません。(4)忠実な者たちはそのしるしを学び、備えるように教えられます。(「再降臨に備える」、エンサイン、2004年5月)

いつ主は来られるのか?

Lightning-Coming-Son-ADマタイ24:36には再降臨について「その日、その時は、だれも知らない。天の御使いたちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」天の父だけが再降臨がいつ起こるかをご存知で、天使でさえもその時を知らないのです。末日聖徒の預言者も会員も再降臨の日を予言しません。私たちはそれが起こることを知っています。しかし、それが正確にいつであるかは知りません。しかし、聖典にはその前触れが何であるか知らされているので、時が近づいていることは分かります。

主の再臨に関してはどのようなしるしがあるでしょうか?

マタイ24にはイエスの再降臨に関する多くのしるしが書かれています。それには多くの者を騙すにせ預言者、戦争、戦争の噂、飢饉、疫病、地震、悪の横行、人々の愛が冷ややかになることなどがあります。その他のがっかりさせるようなものではないしるしには、イエス・キリストの福音の回復、福音が全世界に宣べ伝えられること、エリヤの訪れがあります。(マラキ書4:5−6)また、新エルサレムが建てられることもあります。(3ニーファイ21:23−25参照)

これらのしるしの一部は既に成就しています。ほかのものはこれからです。例えば、マラキに予言されているエリヤの到来は既にエリヤがジョセフ・スミスに1836年4月に現れたことによって成就しました。(教義と聖約110章13−16を参照)戦争や飢饉や地震などはもう現れていると言ってもいいでしょう。しかし、それらのことはこれからも成就し続けます。しばしば、それぞれの項目についてチェックマークをつけるのは難しいことです。

主の再降臨についての予言とは何でしょうか?

イザヤは「まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこえの父、平和の君』と称えられる。」(イザヤ9:6)と予言しました。「こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る。」(イザヤ40:5)とも予言しています。使徒行伝の中で、イエスが天に昇られてから、2人の天使が使徒にやって来て告げました。「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう。」(使徒行伝1:11)この事が救い主が再び地球に来られる日について予見しています。これらやその他多くの予言が聖書やモルモン書や私たちの時代の聖典にありますが、それらはイエスが再降臨される日のことを予言しています。

主が来られるとき何が起こるか?

パウロはテサロニケの人々に書き送りました:

「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。」(1テサロニケ4:16

末日聖徒はここの意味は、既に亡くなった義人はすべて最初によみがえると解釈しています。再降臨の時に地上にいる人々は皆天に上げられ、悪人は破滅します。(2テサロニケ2:8)地球は火で浄められ、それからキリストは1000年間地上で治められます。その期間は福千年として知られています。イザヤは福千年のことを予言してその時のことを「一人の王が正義をもって統べ治め」そして「わが民は平和の家におり」(イザや32:1、18)と語っています。福千年はすばらしいときでしょう。その期間には地上には悪がなく、私たちは平和と愛のうちに住むのです。

再降臨に備える

多くの人にとって、再降臨のしるしや予言について読むのは少々恐ろしいことかもしれません。再降臨のしるしのあるものはすばらしものですが、多くの人は破壊や荒廃について語っています。しかし、預言者は私たちに、次のように約束しています。「備えていれば恐れることはない。」(教義と聖約38:30)もし私たちが救い主に従うならば、再降臨のことで恐れるものは何もありません。事実、義なる人たちにとって、再降臨と福千年は楽しくてすばらしい時になるでしょう。世界はどんどん悪くなって行きますが、福音は世界中に広められて、光と幸福を何千もの人々にもたらします。準備をしていれば恐れることはなく、むしろ私たちは喜びをもってその時を迎えるということを知っていれば、再降臨のために霊的にも物質的にも備えるためにすべてのことをしなければなりません。

この記事はmeganによって書かれました。彼女はユタで生まれ育ちました。そのほとんどをハリケーンという小さな町で過ごしました。今、アイダホ州のレックスバークにあるBYUアイダホ大学で英語学を勉強しています。そこで勉強することはすばらしい経験で、偉大な文学について学び、自分の英作文の技術を磨き、とりわけ多くの新しい人々と会えることが好きです。メーガンは音楽が好きで、とりわけ演奏することが好きです。オルガンとピアノを演奏します。彼女はまた、アメリカの手話言語に非常に興味を持っていて、それを取り巻く文化についても興味があります。生まれた時から末日聖徒イエス・キリスト教会の会員で、この伝統と福音とともに育ってきたことを愛しています。

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