わたしはわずか10歳か11歳でしたが、その人に会った時、特別な人だと分かりました。わたしはミュージカルを演じていて、その幕間の休憩時間に、当時十二使徒だったトーマス・S・モンソン大管長が楽屋に来てわたしと握手をしたのです。

わたしは大きな黒いプラスチックのごみ箱の後ろに立っていて、まだ靴を履いていないことに気づき急に恥ずかしくなりました。彼は気にしませんでした。彼は温かさと親切さを持って微笑みかけ、そしてわたしはわかりました。わかったのです。この男性はイエス・キリストの弟子でした。

mormon-Monsonトーマス・S・モンソン大管長は、今、預言者であり、時々モルモンと呼ばれることもある末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長になったので、大人になってもその時の思い出は宝物です。

預言者の重要性を理解するには、伴侶とデートに出かける用意をしていて玄関で誰かが戸を叩いていると想像してください。とてもきれいな女性が立っていて、「こんにちは。お子さんたちの面倒を見るために来ました。」と、微笑んでいます。

「あなたを雇った覚えはありませんが。」と、あなたは答え、戸惑います。

「わたしは、まさに適任です。幼時期発達の博士号と心肺機能蘇生の資格を持ち、もちろん子供が大好きです。」と、説明します。

「ええ、まあ、あなたの申し出は素晴らしいですが。」あなたは言います。「わたしは、知り合いで信頼できる人を子供の面倒を見るために選んであります。あなたは良い人だと思いますが、親としてわたしの留守に誰が子供を守ってくれるか決めなければなりません。そして、もう決めてあります。」

親には、子供を守る義務と特権の両方があります。この同じ原則は、天でも同じように真理です。父なる神は、離れているわたしたちのために、わたしたち神の子を先導し、導き、守る保護者を選ばれたのです。彼らが預言者です。イエス・キリスト教会の会員は、生ける預言者に従うと断固として主張します。

それから、メディアでよく取り上げられる、自らを美化し操る自称「預言者」とは分けて考える必要があります。なぜならば、彼らの集まりは巨大教会になり、キリストの真の忠実な僕は、神により預言者に召され、天からの啓示を伝える権限と力を与えられたからです。

山上の垂訓で救い主は、罪のない羊のように見えるが内側は「強欲なおおかみ」のような多くの「にせ預言者」がいることを説明しました。彼は続けました。「あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。・・・すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。」(マタイ7:15-18)

イエス・キリストは、真の預言者とにせ預言者を、彼らがもたらす実、言い換えれば彼らの行いと人生により見わけられるであろうと説明しました。この特徴テストを活用し、旧約、新約両方の聖書に見られる主の指導職のパターンを分析すると、生ける預言者を主張することの有効性と必要性が浮き上がります。

預言者は、神の子供たちを導くために神により召された男性です。預言者は常に、イエス・キリストへ戻る道を指し示します。預言者も人なので、すべての人と同じように欠点や弱さを持っているかもしれません。しかし、神の召しを通して彼らは権限を与えられ、主の代わりに語る権限を与えられています。

ある人々はなぜ神により召されることが考慮すべき事柄なのか、またはそれが何を引き起こすのかを疑問に思うかもしれません。多くのクリスチャンは、教導の務めやキリストを証しするために神により召されたと感じています。LDS教会の会員にとって、神により召された(呼ばれた)預言者とは、文字通りです。

ほとんどのクリスチャンは、モーセが預言者として、イスラエルの子孫を逃れさせるために召されたということを知っています。サミュエルは神殿内で主に呼ばれて答えました。「ここにおります。」と。同じように、1820年、イエス・キリストと父なる神は、10代の若者、ジョセフ・スミスに現れ、名前を呼びました。ジョセフ・スミスは、復活したペテロ、ヤコブ、ヨハネを初めとする復活した他の預言者によって聖任され、すなわち、頭に手を置かれて祝福されました。彼らはジョセフに、神の権威による活動を統治する権利、神の神権の鍵を与え、それにより、神に代わり話すことができる者に任命したのです。

ジョセフ・スミスは、それからこの同じ力によって他の人の頭に手を置き祝福をし、彼らを召し、任命しました。これらの男性は、回復された十二使徒定員会を構成しました。ジョセフ・スミスの死後、定員会の先輩メンバーであるブリガム・ヤングが、末日聖徒イエス・キリスト教会の実質の長になり、預言者になりました。定員会のすべてのメンバーは、神の声として話す権限を持っています。なぜならばジョセフ・スミスと同じように、権威ある者により頭に手を置かれ、聖任されたからです。

多くの善きクリスチャンは、たとえばベビーシッターとしての奉仕のように、神の子供たちに仕えるよう召されていると感じるかもしれませんが、神は、その子供たちを導く人を預言者として選ばれます。キリストは、最後の晩餐の最中、十二使徒に語り、このように教えました。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり・・・」(ヨハネ15:16)

生ける使徒、預言者の権限を主張することは、キリスト教の宗派間では、協議としてはイエス・キリスト教会の会員に限られていますが、旧約、新約両方の聖書において明白な主の指導職のパターンに追随しています。

ある人々は、前任の預言者の慣習を新しい預言者が替えるかもしれない時、教義をいかに純粋なままに留めるのかと疑問に思っています。これについての聖書の例は、異邦人の割礼についてのペテロの演説です。割礼は、神とその民との間で交わす聖約の不可欠な部分として定着していましたが、キリストの復活後、非ユダヤ人への伝道が始まった時、その慣習は啓示により変わりました。預言者として、また十二使徒定員会の先輩会員として、その慣習を替えるようにと言う導きが、ペテロに与えられました。

現代でも、イエス・キリスト教会は同じ啓示の御霊によって統治されています。それにより、現在の預言者は教会の慣習を替える時、主の御心に沿って、人々を見守り導くことができます。しかし福音の中心的教義は、常に変わらないままです。

十二使徒定員会会員のニール・L・アンダーソン長老は、教会の教義が純粋なままである理由についてこう説明しました。「それは、大管長会と十二使徒定員会全員、15人によって教えられているからです。一つの話の曖昧な段落に隠されているわけではありません。真の原則は、しばしば教えられ、多くの人によって教えられます。わたしたちの教義は、見つけにくいものではありません。」

わたしには、預言者トーマス・S・モンソンとの個人的な出会いという特別な経験がありますが、誰でも、彼の言葉と人生を学び、彼がもたらす実と十二使徒定員会と生ける預言者で明白な今も続く主の指導職のパターンを熟考することにより、わたしと同じように知ることができます。

愛ある天の父は、わたしたちを見守る人を選ばれたのです。

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