地上の誰もが自分の幸福を求めているのに、手にした喜びが消えてしまうのは誰もが経験することです。モンソン管長はこの説教で、人生で幸福を見つける方法について述べています。先ず、家族の大きさに関わらず、霊的な知識と一般教養に愛着を持った家庭を築くことです。幸福で健康な家族は、家族の一人一人にとって膨大な喜びと慰めの源になります。家族の皆が互いに愛と関心を抱いているとこを知っていると、それぞれが自分が価値ある存在であることに自信を持ち、愛する家族の希望と期待に添うようになります。

多くの人が重要な仕事、富や財産、人気、同僚や友達や知り合いに自分を認めてもらうといった放縦なことに喜びを見つけてそれに満足していますが、家族の愛はそれより遥かに価値のあるかけがえのないものです。家族を築くことは大変な努力が要ります。幸せな家族というものは、善良な人だけで構成されている状態を言うのではなく、努力して達成し、維持する状態をいうのです。愛情は自然に大きくなるというものではなく、賢明な努力によって築き上げ責任をもって育んで行かなければならないものだとモンソン長老は指摘します。

幸せな家族も試練に見舞われることがあります。幸せな家族には、立派な家やたくさんのお金は無いかもしれませんが、家族が一緒に学び、祈り、愛を示しあっています。そういう家族の行動が幸福な家族、人々を築き上げるものなのです。もし家族の誰かが、特に両親が率先して、主の教えと戒めに忠実に従えば、主はその家族を幸福へと導いてくださり、子供たちは親の模範に従うものです。

トーマス・モンソン長老は祝福は家族のある習慣によってもたらされるものだと説明しています。家族の祈りの習慣と、互いのために祈ることで人を傷つける感情をなくすことができるようになり、愛と一致が家族に生まれると教えておられます。両親は子どもの人生ので最も忠実で重要な教師です。モンソン長老は、家族を結ぶ愛情について、また親が子どもにとって生きた模範であることを述べています。

両親は子どもを育てる幸せな家庭を築く責任を満たさなければなりません。またその努力が家族のためになるのです。子どもにとって良い模範者として行動することで、両親は子どもに教えたいと願う明るい幸せな態度と従順の喜びを築くことができます。

「幸福な家庭のしるし」

この説教は、リアホナ、2001年10月号p.3に掲載されました。

「幸福こそ、わたしたちの存在する目的であり計画である。わたしたちがそこに通じる道に従っていけば、最後に到達できるものである。その道とは、徳、公正、忠実、聖さ、そして神のすべての戒めを守ることである。」

全人類のためにこの普遍的な目標をそう説明したのは、預言者ジョセフ・スミスでした。これは、過去現在を問わず、至言といえましょう。しかし、こうしたはっきりとした道しるべが与えられているにもかかわらず、不幸な人が多いのはなぜでしょうか。しかめっ面がほほえみを、絶望が喜びを押しのけてしまっているのです。わたしたちは神が与えてくださった可能性よりはるかに低いレベルで生活しています。ある人は物質主義に惑わされ、罪に足を取られ、世の風潮の中で自分自身を見失っています。またほかの人々は、いにしえのピリポが改宗に導いた人のようにこう叫ぶのです。「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうして(道を見いだせるでしょう)。」

さて、世間的な意味での「満足」、つまりあふれるばかりの富を得ても、わたしたちは幸福にはなれません。また幸福は、遠く離れた未知の国にあるものでもありません。幸福は、家庭の中にあるのです。

わたしたちは皆、子ども時代の家庭の様子をよく覚えています。おもしろいことに、育った家の大小とか、周囲の環境が洗練されていたかどうかなどはあまり思い出しません。むしろ楽しい思い出となっているのは、家族とともに過ごした経験なのです。家庭は人生の経験の場であり、そこで学んだことが、わたしたちが家族から離れたときにどうのような人生を送るかの決め手になります。

イギリスのマーガレット・サッチャー元首相は、次のような含蓄のある人生哲学を述べました。「家族は社会を築くれんがである。家庭は保育園であり、学校、病院であり、憩いの場、平安を見出すところ、疲れをいやす場所である。家庭は社会の縮図である。我々の振興を培うところであり、人生に向けて備えをしてくれる場所である。」

「家庭は心のよりどころ」です。そして、立派な家庭を築くには、「日々の積み重ね」が必要なのです。「埴生の宿、貧しくも家庭に勝るところなし。」しかし、数々の楽しい思い出から我に返ると、そこには、両親がこの世を去り、息子や娘が成長して家を離れ、子ども時代は遠い過去のこと、という現実の世界が待ち受けています。そしえt、「どのような家庭を築くかは、わたしたちの責任である。」という真理に、徐々に、しかし、確実に直面することになります。わたしたちは知恵を使う必要があります。永遠は短い旅路ではないからです。なぎとうねり、ひなたと日陰、喜びと悲しみが混在しているからです。でも一生懸命努力すれば、家庭を地上の天国にすることができます。わたしたちの思いと行いと生き方は、この世の旅路の成功に影響を及ぼすだけではありません。それらは、永遠の目標に至る道を指し示すものとなるのです。

1995年に大管長会と十二使徒評議会は家族に関する世界への宣言を発表しました。この宣言には次のように述べられています。「家庭生活における幸福は、主イエス・キリストの教えに基づいた生活を送るときに達成されるに違いありません。実りのある結婚と家庭は、信仰と祈り、悔い改め、赦し、尊敬、愛、思いやり、労働、健全な娯楽活動の原則にのっとって確立され、維持されます。」

幸福な家庭は様々な形を呈しています。両親と大勢の子供たちが愛し合って暮らしている家庭もあれば、片親だけで一人で生活している人もいます。しかし、このように個々の状況は違っていても、幸せな家庭には共通したものがあります。わたしはこれを「幸福な家庭のしるし」と呼びたいと思います。それは、以下の4つから成っています。

1. 祈りの習慣

2. 学びの場

3. 愛の模範

4. 証のたくわえ

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