天国は神様が住んでいらっしゃるところで、私たちもこの世に生まれて来る前に住んでいました。私たちはそこに行くことも可能です。末日聖徒イエス・キリスト教会(時々はからずも「モルモン教会」と呼ばれる)は天国について非常に特別な教義を教えています。イエス・キリスト教会の天国についての教えは救いの計画ないしは幸福の計画の中心です。その計画により、私たちはこの地上に来て、体を得、試練を受け、神のもとに戻って住む可能性を与えられます。

霊のパラダイスと霊の囚獄

末日聖徒の信じていることは、人は死ぬと、パラダイスか囚獄に行くことです。イエス・キリストの福音を受け入れ、地上にいる間に必要な聖約をし、守った人々は、パラダイスに行きます。福音を受け入れずそれに従って生きなかった人や、福音に沿って生きなかったか、それを拒否したか、それを聞く機会がなかった人は霊の囚獄に行きます。霊の囚獄の霊たちはキリストの福音を受け入れることができます。そして彼らのための儀式(宗教的な典礼)はこの地上の人によって、身代わりに執り行うことができます。

パラダイスも霊の囚獄も恒久的なところではありません。イエス・キリストは地球に戻っていらっしゃいます。そしてすべての人々は、それがパラダイスの霊であれ、霊の囚獄の霊であれ、すべて復活します。(完全な肉体といっしょに結合するのです。)結局は、すべての人は、過去、現在、未来に及んで、地上に住む人はイエス・キリストによって裁かれ、それから「それぞれの固有な栄光の王国に永遠の住まいを得ます。」[1]

栄光の諸王国

Not-Faithless-Blessings-AD末日聖徒は、天は3つの階級、ないしは王国、つまり、日と月と星の王国に分かれていると信じています。私たちはまた、滅びの存在も信じています。それは王国ですが、栄光のない王国です。イエス・キリスト教会の教えでは「私たちが受け継ぐ栄光は私たちの改宗の深さによります。それは主の戒めに従順であることによって示されます。それはどのように『イエスの証を受け入れるか』によって決まります。 (教義と聖約76:51参照)[1] 末日聖徒はイエスがヨハネ14:2で栄光の王国についての原則を教えられたと信じています。主はそこで、「わたしの父の家には、すまいがたくさんある。」とおっしゃいました。そして、預言者ジョセフ・スミスは栄光の諸王国についてさらに啓示を受けました。ジョセフ・スミスに与えられた啓示は教義と聖約の76章に記されています。

 

  • 日の栄えの王国 日の栄えは3つの栄光の段階の最高の栄えです。そこには天の父とイエス・キリストが住んでいらっしゃいます。この栄光の王国を受け継ぐ人々は神とイエス・キリストの御前で永遠に住みます。これが究極の目標で、日の栄えを引き継ぐことです。教義と聖約には日の栄えを引き継ぐのは、「イエスの証を受け入れ、(中略)新しい聖約の仲保者イエスを通じて完全なものとされた正しい人々」(教義と聖約76:51、69)です。人は自分の努力だけでは日の栄えの王国に到達することができません。イエス・キリストの恵みも必要です。末日聖徒はまた、日の栄えを引き継ぐにはすべての必要な聖約(神との約束)をしていなければならず、主が命じられたすべての儀式を受けていなければなりません。それにはバプテスマの聖約や結婚を含むその他の神殿の聖なる聖約が含まれます。
  • 月の栄えの王国 イエス・キリスト教会の教えでは、「月の栄えの中の人々は尊敬されるべき人々ですが、『人間の悪巧みによって目をくらまされた者』(教義と聖約76:75)です。」このグループに含まれるのは、イエス・キリスト教会の会員でありながら、救い主に従うことにおいてそれほど雄々しくなく、地上にいる間には福音を拒否したものの霊界に行って受け入れた者たちで、この王国を引き継ぎます。地上で福音を受ける機会がなかった人で、霊界で受け入れた人はこの王国には属しません。彼らは日の栄えの王国を引き継ぎます。
  • 星の栄えの王国 星の栄えの王国は「キリストの福音を受け入れず、イエスの証も受け入れなかった者」のためです。(教義と聖約76:82)彼らは福音を拒否し、イエス・キリストを受け入れませんでした。
  • 滅び 滅びは栄光の王国ではなく、福音を完全に受け入れた後に、意図的にその知識を拒んだ人のための場所です。ここに送られる人は数多くいません。

行いと恵み

イエス・キリストは私たちすべてをその行いによって裁かれます。それから私たちは永遠に住むべき王国に行きます。日の栄えの王国に行くにはこの世の生活で私たちの全力を尽くさなければなりません。しかし、救い主を除いて、誰も独力で日の栄えに行ける人はいないのです。末日聖徒は行いと恵みの両方が大切であると信じています。日の栄えに至には両方が必要です。

信仰を持つことの大切さ

末日聖徒は天国について、さらにたくさんの啓示を与えられています。それはとても慰めを与え、愛する者を亡くした時に特にそうです。私たちの先祖が私たちと同じ栄光に住むことができることやイエス・キリストの福音はすべての人々を含んでいるということは慰めになります。また、救い主の恵み無しで、自分の力だけでは日の栄えの目標に到達できないと気づくと謙遜になります。

しかし、末日聖徒が天国や死後の生活について知っているすべてのことをもってしても、現在でも未来にもまだ確かではないことがあります。死後の生活の恐ろしいことはそれが未知なものであることです。私たちはそれがはっきりどういうものであるかが分からないのです。私たちは複雑な家族関係がどう解決するのかが分からないかもしれませんし、幕屋の向こうにいる既に亡くなった家族が何をしているのか分からないかもしれません。

私はそのような心配は、まともに思われますが、今は必要ないと信じています。天の父は最終的な鍵を握っておられ、すべてのことを上手に取りはからうための完全な知識と理解をもっておられます。私は天の父のところに戻る助けとなる十分な知識を与えられていると信じています。しかし、知識が完全でなくとも大丈夫です。何故ならばもし私たちが今何もかも知っているとしたら、信仰を持つ必要がありません。

この記事はmeganによって書かれました。彼女はユタで生まれ育ちました。そのほとんどをハリケーンという小さな町で過ごしました。今、アイダホ州のレックスバークにあるBYUアイダホ大学で英語学を勉強しています。そこで勉強することはすばらしい経験で、偉大な文学について学び、自分の英作文の技術を磨き、とりわけ多くの新しい人々と会えることが好きです。メーガンは音楽が好きで、とりわけ演奏することが好きです。オルガンとピアノを演奏します。彼女はまた、アメリカの手話言語に非常に興味を持っていて、それを取り巻く文化についても興味があります。生まれた時から末日聖徒イエス・キリスト教会の会員で、この伝統と福音とともに育ってきたことを愛しています。

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