<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><!-- generator="WordPress/2.6" -->
<rss version="0.92">
<channel>
	<title>トーマス・S・モンソン</title>
	<link>http://ja.thomasmonson.com</link>
	<description>末日聖徒イエス・キリスト教会の預言者、第16代大管長</description>
	<lastBuildDate>Sun, 06 Apr 2008 19:32:29 +0000</lastBuildDate>
	<docs>http://backend.userland.com/rss092</docs>
	<language>en</language>
	
	<item>
		<title>トーマス・S・モンソン</title>
		<description>トーマス・S・モンソン
出典: MormonWiki
トーマス・S・モンソン は2008年2月3日、ゴードン・B・ヒンクレー大管長の逝去にともない、末日聖徒イエス・キリスト教会の預言者、聖見者、啓示者（大管長）として召しを受けました。モンソン大管長は教会の第16代目の大管長で十二使徒定員会の先任会員で、現在の使徒の中では最も長くその任に就いています。これまでヒンクレー大管長の下で大管長会の 第一顧問を務めていました。

幼いときから思いやりの深い人
トーマス・スペンサー・モンソンは1927年8月21日米国ユタ州ソルトレークシティで、G・スペンサー・とグラディス・コンディ・モンソンの6人の子供の第２子として生まれました。頑強な北ヨーロッパ系の先祖をもつ両親は、勤勉で謙遜、愛の深い人たちでした。家族はつつましい生活をしていましたが、特に大恐慌の間はそうでした。それでもトーマス・モンソンは心のやさしい子で、自分より恵まれないまわりの人々に対しては思いやりを示しました。あるクリスマス、友だちの家族がクリスマスのディナーにシリアルと水しか食べられないことを知って、涙をこらえながらも大事に飼っていた二匹のうさぎを差し出して、「七面鳥ではないけれど、りっぱなクリスマスディナーになるよ」と言ったそうです。1
 
モンソンはそれ以来ずっと、その思いやりと聖霊の促しに応えることで、貧しい人の窮状に心をくだいてきました。自分が育ったワードのビショップになったとき、そのワードは1,060人の会員のうち85人が未亡人で、「州内で福祉 負担が一番高 いワードでした。2 モンソン大管長は何年にもわたってこれらの未亡人一人一人の生活に個人的な関心をもち、ビショップの職から解任された後も、当時の未亡人すべてが亡くなってしまうまで関与していました。 

ある人がモンソン大管長に、長い間話をしても反応が返ってくることはめったにないから、そのような老人を訪問しても無駄だと忠告したことがありました。「時間の無駄だと思いますよ、モンソン長老。あなたが誰だかわからないのですから。」 
モンソン長老は断固として答えました。「わたしを知っているかどうかは問題外です。あの人たちが私を知っているから話をするのではなくて、私があの人たちを知っているから話すのです。」3 

トーマス・モンソンが16歳のときに受けた祝福師 の祝福は、彼が将来する奉仕について、次のように予告しています： 

「あなたに霊感と導きとなり、仕事をする上で導きを与え、過去のことを思い出し、将来起こることを示すために聖霊が授けられました。… 
「人々の中で真の指導者となるでしょう。… あなたは各地に赴き、福音のメッセージを宣べ伝える特権を得るでしょう。… また識別の霊を受けるでしょう。 
「あなたが将来受ける高く聖なる召しにおいて、…進むべき正しい道を知るための導きと指示を受けられるように、へりくだって主を求めてください。4 

兵役、教育、職歴モンソン大管長は17歳のときに米国海軍に入隊しました。同時に入隊した他の41人の新兵は4年間正規海軍兵として兵務につきました。しかしトーマスは熱心に祈った結果、戦争期間とその後6ヶ月を務める海軍予備兵となることを選びました。「入隊してから数週間でヨーロッパの停戦が成立し、その後数ヵ月後に太平洋地域に平和が戻りました。こうして海軍の現役勤務が始ってから1年も経たないうちに、トーマス・S・モンソンは復員しました。」5 帰還後彼はユタ大学に入学し、軍隊に入隊しなかった学友よりわずか1学期遅れただけで、1948年に優秀な成績で経営学の学位を取得しました。 

1948年10月7日、トーマスはフランシス・ビバリー・ジョンソンとソルトレーク神殿で結婚しました。やがて二男一女の3人の子供が生まれました。(現在8人の孫と4人のひ孫がいます。)モンソン長老はユタ大学で教鞭を執るかたわら、大学院で勉強を続け、その後ブリガム・ヤング大学でMBA（経営管理学修士号）を取得しました。またユタ大学から優秀同窓生賞を、ブリガム・ヤング大学からは名誉法学博士号を受けています。さらに1996年6月にはソルトレーク・コミュニティカレッジからも名誉学位を受けています。また経営学友愛会名誉会員でもあります。1948年からはデゼレトニューズの広告課を皮切りに、デゼレトニューズ出版の販売マネージャーに就任、さらにはジェネラルマネージャー（総取締役）を務めました。ユタ印刷業会の元会長、さらには全米印刷業会の元メンバーでもあり、その商才と優れた記憶力で知られています。デゼレトニューズ紙の元編集長ビル・スマート氏はモンソン大管長について、次のように述べています。「モンソン氏は常に用意周到で、几帳面、組織力が高い人でした。ものすごく記憶力の良い人で、それがとても彼の役に立っていました。時として記憶が良過ぎることもあって、いつも正しいことを言わないと、後で後悔するようなことになるんですよ。」[1] 

教会と社会奉仕
モンソン大管長は若くして教会の業に召されました。若干22歳でビショップに、27歳でステーク会長会に、31歳で伝道部長 (1959年から1962年まで伝道本部がカナダ、オンタリオ郡トロント市にあるカナダ伝道部)に、36歳で使徒 (53年間で最年少)に、そして58歳で大管長会の顧問（今世紀では最年少）に召されたのです。 6 1969年には、全米ボーイスカウト連盟の全国理事会（その功によりスカウトの名誉賞シルバー・バッファロー賞を受けた）での任務を開始する一方、さらにはユタ州の大学教育機関を運営するユタ州大学評議会でも奉仕しました。1981年、大統領の民間セクター・タスクフォースの異宗教間委員会で奉仕するようにロナルド・レーガン大統領から依頼を受け、1982年にこの任務を終えるまで務めました。 トーマス・モンソンはKSL（テレビ/ラジオ）、ボンネビル・インターナショナル社（メディア）、マウンテン・ベル（電話/通信）、コマーシャル・セキュリティ銀行、ベネフィシャル保険会社などの取締役会で、職業人としてまた市民としての義務を果たしてきました。 

ボイド・K・パッカー長老はこのように語っています。「モンソン長老は組織する才能に長けています。もし重要なことに関してすべての必要な経路をたどり、必要な検問を通過するための舵取りがうまくできる人を求めているならば、わたしはトム・モンソンを選びます。」7 

1985年11月10日、モンソン長老はエズラ・タフト・ベンソン大管長の下で、大管長会の第二顧問に、1994年6月5日にはハワード・W・ハンター大管長の第二顧問に召されています。そして、1995年3月12日、ゴードン・B・ヒンクレー大管長の第一顧問となりました。2007年2月4日、ヒンクレー大管長の死去に続いて、教会の大管長に就任しました。 

御霊によって生き、奉仕する
次の記事によってトーマス・モンソンが慣習からではなく、御霊の促しによって主に仕えることを望んでいるのがわります。 
テンプルビュー・ステーク、第6-第7ワードの比較的新しいビショップだった23歳のトム・モンソンは、ステークの神権指導者会が進行するにつれて、いつになく落ち着きがありませんでした。この集会を出て、すぐにソルトレークシティの東部高台にある退役軍人病院へ行くようにという思いを感じていたのです。その夜家を出る前に、ワードの高齢の会員が入院したという電話を受けていました。電話の主は、今夜病院へ行ってこの会員を祝福する時間が取れるかと言うのでした。多忙なこの若いビショップは、今ステークの神権指導者会へ行くところだが、集会が終わった後にできるだけ早く病院へ行くようにするからと説明しました。 

「すぐに集会を出て、病院へ行くように」という促しは強くなる一方でした。しかしその時、ステーク会長自らが壇上で話をしていたのです。管理役員が話している最中に席を立って、壇上に座っている兄弟たちの前を横切り、そのまま建物を出るなどということはこの上なく失礼なことでした。彼はつらい思いでステーク会長の話が終わるのを待って、それから閉会の祈りを待たずに出口へ向かって飛び出しました。 
「若いビショップは病院に着くと、4階の廊下を走り抜けて教えられた病室に向かいました。その病室の外にはあわただしい動きが見られました。看護婦が彼を止めて尋ねました。「モンソン ビショップですか。」 
「はい」と、不安げに答えました。 
看護婦は言いました。「残念ですが、患者さんは息を引きとるまえに、しきりにあなたの名前を呼んでいました。」 
トーマス・モンソンは涙をこらえながら、きびすを返して夜の闇の中へと消えて行きました。彼はそのとき、その場で、主からの促しには直ちに行動すことを、心に誓ったのです。御霊から印象を受けたときには、直ちにどこにでも行き、常に「主の用向き」を行おうと。
 
他の宗教を信じる友へ差し伸べる手
モンソン大管長は他の宗教を信じる人々に対して手を差し伸べることで知られています。ジョン・ハンツマン・シニア（ビジネスマン/慈善家）は次のように述べています。「モンソン長老はマデリーン大聖堂（カトリックの聖堂）の中でも（末日聖徒）の神殿と同じように心地よく過ごされます。あらゆる宗教に安らぎを感じて、すべての宗教の指導者たちを励まし、霊感を与えておられます。モンソン大管長が在職中には、世界中の他の宗派との盛んな交流が行われることでしょう。」 
ニール・A・マックスウエル長老は次のように言いました。「トムは会員にも会員でない人々の中にも、同様の能力と気軽さで入っていくことができます。彼の管理手腕と経営の才は、もちろん優秀であることに間違いありませんが、そのすべてが学校教育や仕事から得た機会によるものではありません。彼が先天的に持っているとか天から授かったもののような、もっと基本的なものです。彼がその重要性を把握し、それが何を意味するかを理解するのには、20年もかからないでしょう。他の人がまだ包装紙をはがそうとしている間に、彼はすでに殆どのものの中身をむさぼり食っているのです。」9 

モンソン大管長は20年間にわたって、東ヨーロッパで教会員ではない人々の中で仕事をしてきました。その努力によって、1982年8月に、最初のステークが組織されました。また1985年6月29日、ドイツ民主共和国（東ドイツ）のフライベルクに神殿が奉献されたことで、モンソン大管長の夢がかなったのです。. 
「モンソン兄弟の努力がなかったら、ヨーロッパのこの地域には何もなかったでしょう。」親しい友人でヨーロッパ地域会長のジョセフ・B・ワースリン長老は言います。「しかし、今はステークやワード、そして教会堂もあります。それに奇跡中の奇跡である神殿さえあるのです。トムはこの人たちにすべてを与えました。自分の着ていたシャツでさえも。本当です。背広やシャツ、靴までも配っているのを見たことがあります。貧困のどん底にあった東ヨーロッパの聖徒たちに自分の背広を20着ほど配ったでしょう。あれは古着だし、どうせ捨てるのだからと言っていましたが、私には真新しく見えました。」10 

著書
「Be Your Best Self」(1979年9月) (ISBN 978-0877477877) 
「Inspiring Experiences That Build ...</description>
		<link>http://ja.thomasmonson.com/29/%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%bbs%e3%83%bb%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%bd%e3%83%b3</link>
			</item>
	<item>
		<title>聖会</title>
		<description>末日聖徒イエス・キリスト教会の1300万人を上回る教会員、並びに教会に興味を持つ人々は、間近に迫った教会の年次大会を心待ちにしています。この総大会で新しく組織された大管長会、すなわちトーマス・S・モンソン大管長、ヘンリー・B・アイリング第一顧問、ディーター・F・ウイークトドルフ第二顧問が、教会員によって支持を受けます。主によって定められたこのユニークな手続きは、教会員にとって大管長会のそれぞれの長老が教会の指導者に召されたことと、これらの指導者たちを自分たちが支持するという意志を表わす機会です。

教会指導者の支持は、「聖会」として知られいている集会で行われます。この聖会といわれる集会は、特定の霊的な目的を持つ末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の神聖な集まりを指しており、これには神殿の献堂式、新しい大管長会の支持やその他主の前に教会の指導者が神の導きによって任命される集会などが含まれます。

聖会は、歴史上多くの前例があります。例えば古代イスラエルには、主が召集される断食日や霊的清めの日、および特別の導きと儀式を受けるために集う日などがありました。仮庵の祭りや過ぎ越しの祭りといった祭日に伴うもの（申命記16:8;レビ記23:33-36）、特にソロモンの神殿の献堂式で開かれた聖会などがその例として挙げられます。（歴代誌下5:2-3）。

聖会を開くという習慣は、わたしたちの時代にも預言者ジョセフ・スミスによって回復されました。主は、その神聖な目的のためにこの特別な集会の決まりを再び制定されました。この地上に末日聖徒イエス・キリスト教会が回復されて以来、多くの集会が開かれてきました。神殿の献堂と大管長会の交代に伴って開かれるこれらの聖会に加え、その他の聖会は、教会員を指導し、その責任を遂行できるように召集されたり、教会幹部が発表した特別な律法や宣言を支持するために開かれます。聖徒が自分たちの生活を清め、心と思いを準備し主に捧げた上で集会に集う時に、聖会ではしばしば聖霊の賜物の大いなる顕れが伴うことがあります。

2008年4月の第一週末に開かれる末日聖徒イエス・キリスト教会の総大会に於いて、各教会員が各自の右手を挙手することで、第16代大管長会を支持することを表わす機会が与えられるのです。

追加資料：


教義と聖約８８：１１７
それゆえ、まことに、わたしは友であるあなたがたに言う。わたしがあなたがたに命じたように、あなたがたの聖会を召集しなさい。

教義と聖約95:7
このために、わたしはあなたがたに、聖会を召集しなければならないという戒めを与えたのである。聖会を召集するのは、あなたがたの断食とあなたがたの嘆きがサバオスの主、訳せば、最初の日の創造主、初めであり終わりである者の耳に達するようにするためである。

教義と聖約108:4
わたしの僕たちによって聖会が召集されるまで、忍耐強く待ちなさい。そのとき、あなたはわたしの長老たちの最初の者とともに覚えられ、わたしが選んだ長老たちの残りとともに聖任されて権利を受けるであろう。

 </description>
		<link>http://ja.thomasmonson.com/28/%e8%81%96%e4%bc%9a</link>
			</item>
	<item>
		<title>ニューズウィーク誌の記事「未来へ向かって」</title>
		<description>ニューズウィーク誌の独占ウエブ記事「未来へ向かって」の中でレポーターのエリース・ソウカップ氏は、末日聖徒イエス・キリスト教会の第16代預言者および大管長となるように主が備えた人物を召すための準備について記事を書いています

末日聖徒イエス・キリスト教会の最高指導者たちが後継者を指名するために間もなく集まろうとする一方、---トーマス・S・モンソン（80歳）であることはほぼ間違いない---その教会員はゴードン・B・ヒンクレー大管長の死を悼んでいる。ヒンクレーは教会の177年の歴史の中で第15番目の大管長であった　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

予期されている変化について、ソウカップ氏は次のように述べています。:　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

「新しい預言者への移行はスムースなものであると予想される。モンソンは過去43年間教会指導者の最高レベルにあって、深い尊敬を得ている。. . . .　モンソンが使徒および大管長会顧問として果たしてきた責任で、その分野は伝道活動や福祉業務、系図、教育、さらには指導者訓練など、教会の活動全般に広がっている。」
　　

新しい預言者を召すための手順を、ニューズウィーク誌は次のように説明しています。

ローマ法王を選ぶ過程と比較すると、モルモンの預言者の選択はある程度形式的であ>. . .。

ヒンクレー大管長の葬儀終了後、14人の使徒はソルトレーク神殿の4階、通常教会の事務を行う部屋で集会を開く。モンソンを次期預言者とする採決が行われるが、これは全員一致でなければならない。次に椅子に座ったモンソン大管長を13人の使徒が囲み、それぞれの手をモンソンの頭に置く。モンソンの次に位置する先任使徒であるボイド・K・パッカーが「聖任」の祈りを捧げ、新しい役割を遂行するための祝福を与える。…」

この記事が説明しているように、外面的に見るとローマ法王の即位に比て非常に簡素ではありますが、教会を導き、世界に影響を与える新しい主の預言者を選ぶ過程を主の声が導いておられることを考えてみると、これは目覚しいことです。

このような穏やかな方法で行われるために、教会の信仰に精通していない人にとっては、神の介在は見過ごされてしまうかもしれません。また全員一致の支持票は次期指導者として召された人を承認するための親切な意思表示にすぎないと思われるかもしれません。新しい預言者を召す場合の全員一致の採択は、実は預言者を選ぶために行われる手段ではなく、その過程の結果なのです。

十二使徒定員会の会員はそれぞれ、次期の預言者は誰かについて審議し、祈りによって啓示を受けます。その後、各自はその召しが神からのものであることを認知するために挙手によってその意を表わします。

この挙手は指名者をこの職に推挙するためのものではなく、啓示によって主の御心を受けたことを確認するためのものなのです。この違いを知ることは重要なことで、一人の預言者から次の預言者への継承の秩序、あるいは権能の移行の奇跡を示すものです。

その意味においては、ソウカップが当を得て述べているように、戴冠式のように華麗ではない一方、教会の最高指導者を召すということにおいては神聖で類のないものなのです。
トーマス・S・モンソンに関する「ニューズウィーク」の記事
 </description>
		<link>http://ja.thomasmonson.com/23/%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%ba%e3%82%a6%e3%82%a3%e3%83%bc%e3%82%af%e8%aa%8c%e3%81%ae%e8%a8%98%e4%ba%8b%e3%80%8c%e6%9c%aa%e6%9d%a5%e3%81%b8%e5%90%91%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%80%8d</link>
			</item>
	<item>
		<title>第16代末日聖徒イエス・キリスト教会大管長</title>
		<description>末日聖徒イエス・キリスト教会は、2月4日午前11時（米国山岳部標準時）の記者会見において、トーマス・S・モンソンが末日聖徒イエス・キリスト教会の第16代大管長に聖任されたことを発表しました。モンソン大管長の顧問にはヘンリー・B・アイリングとディーター・F・ウークトドルフが就任しました。尚、この会見はユタ州ソルトレークシティーにある教会本部ビルのロビーにある救い主の壁画の前で行われました。

モンソン大管長は、受けた召しに対して今どのようなことを感じているかというレポーターの質問に答え、預言者としての新しい責任の実感が湧いてきたとき、ひざまずいて祈り、主が自分に先だって導き、右にも左にもいてくださるように、また天の御使いも前に立って助けてくれるように祈ったと答えました。

またモンソン大管長は新しく召された2人の顧問について、「精力的で革新的な働き手で、主にすべてを捧げる人たち」だと述べました。また教会の方向性について急激な変化はないと指摘し、「時折、手続きやプログラムは調整されることがあっても、教義は不変」であると加え、たゆまず善を行われた救い主に従うことに教会員が焦点を合わせるようにとも述べました。

アイリング長老は新しい大管長会の第一顧問として召されたことに対して、謙遜になると同時に名誉なことだと語りました。ウークトドルフ長老は第二顧問として仕えることに関して、この召しが神から来たものであることを認め、「よろこびつつも圧倒されている」と答えました。モンソン大管長の手腕について、「私はモンソン大管長が一つのことに集中するのも、大陸をつなげるのも見てきました。」と述べました。二人の顧問は共にモンソン大管長を支持することを誓い、地上での主の業を推し進める決意を表明しました。
 </description>
		<link>http://ja.thomasmonson.com/22/22</link>
			</item>
	<item>
		<title>道徳的な勇気</title>
		<description>私たちは当然、恐れを感じたり、あざけりを受けたり、反対に遭遇することでしょう。多数意見を受け入れず、原則を守る勇気を持ちましょう。神は妥協ではなく、勇気を受け入れられます。勇気は勇ましく死のうとする意志だけではなく、立派な生き方をするという決意として見られるとき、活力のある人をひきつける力のある徳となります。道徳的に臆病な人は、他の人から反対されたり笑われたりするからという理由で、自分が正しいと信じていることができないのです。人は誰でも恐れる気持ちを持っていることを忘れないでください。しかし威厳を持って恐れに立ち向かう人も、勇気のある人なのです。」　価値ある勇気）」『New Era』、2006年9月号、2-6 </description>
		<link>http://ja.thomasmonson.com/11/%e9%81%93%e5%be%b3%e7%9a%84%e3%81%aa%e5%8b%87%e6%b0%97-2</link>
			</item>
	<item>
		<title>サタンの詭弁</title>
		<description>「ときどき、落胆がわたしたちの道を暗くし、挫折感がいつも付きまとうかもしれません。そして、サタンの詭弁をろうするささやきが耳に聞えてくるかもしれません。「一人で世の中を救えない。おまえの小さな働きなど無意味だ。人のことを構っている時間などないんだ。」主を信頼し、そのような偽りに耳を借さず、奉仕の道をしっかりと歩み、すべてをささげて主の模範に従いましょう。決意の光が鈍るときや、心が弱くなるときは、主の次の約束から慰めが得られるでしょう。「善を行うことに疲れ果ててはならない。小さなことから大いなることが生じるのである。見よ、主は心と進んで行う精神とを求める。」（「平和を見出す」『リアホナ』、2004年3月号、５） </description>
		<link>http://ja.thomasmonson.com/12/%e3%82%b5%e3%82%bf%e3%83%b3%e3%81%ae%e8%a9%ad%e5%bc%81</link>
			</item>
	<item>
		<title>ビジョン</title>
		<description>ビジョンがあっても努力がなければそれは白昼夢であり、努力をしてもビジョンがなければそれはただの労働にすぎません。しかし努力のともなったビジョンは目的を達成するのです。」
(「Finishers Wanted（やり遂げる人求む）」『Ensign』、1972年7月号、68) </description>
		<link>http://ja.thomasmonson.com/13/%e3%83%93%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%b3</link>
			</item>
	<item>
		<title>結婚の決断</title>
		<description>「誰と結婚しようかというような重大なことを決めるときには、両親の助けを求めるようにお勧めします。時間をとって相談してください。親は決して皆さんを放っておいたり見捨てたりすることはありません。皆さんを心から愛し、大事な娘や力強い息子にはこの世での最善を願い、永遠の約束が得られることを望んでいるのですから。」 (「Whom Shall I Marry?（結婚相手）」『New Era』、2004年10月号、4) </description>
		<link>http://ja.thomasmonson.com/15/%e7%b5%90%e5%a9%9a%e3%81%ae%e6%b1%ba%e6%96%ad</link>
			</item>
	<item>
		<title>信仰と疑い</title>
		<description>「忘れないでください。心の中に信仰と疑う気持ちが共存することはできません。それは一方が他方を払しょくしてしまうからです。疑う気持ちを追い払って、信仰をつちかってください。山をも動かす幼子のような信仰を持ち続け、天を心と家庭に近づけてください。」（人生の指針とすべき規範）」ニューエラNewEra、2005年9月号、4) </description>
		<link>http://ja.thomasmonson.com/16/%e4%bf%a1%e4%bb%b0%e3%81%a8%e7%96%91%e3%81%84</link>
			</item>
	<item>
		<title>奉仕という舞台に立つ</title>
		<description>「教会の若人の皆さん、世界中が皆さんの助けを必要としています。しっかり抑えなければならない足、握らなければならない手、はげまさなければならない精神、鼓舞させなければならない心、救わなければならない魂があるのです。その報いは大きなものです。はっきりと申し上げますが、一生に一度の伝道の機会は皆さんのものです。永遠の祝福は皆さんを待っています。他の人への奉仕という舞台で、観客ではなく実際に舞台に立つのは、皆さんに与えられた特権なのです。」　　　　　　　　　　　　　　　　　 (「That All May Hear（すべてが聞くように）」『New Era』、1996年5月号、４) </description>
		<link>http://ja.thomasmonson.com/18/%e5%a5%89%e4%bb%95%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e8%88%9e%e5%8f%b0%e3%81%ab%e7%ab%8b%e3%81%a4</link>
			</item>
</channel>
</rss>
